“人からいかに刺激をもらえるか。それには、行動しかない、行動し続けるしかない。行動して、刺激をもらい、そして感性を磨く。感性を磨くと行動も変わり、どんどんシンプルになっていく。”

“鑑賞すると、人は観察しないんです。観察は空想をうながし、想像をさそうけれども、鑑賞は鑑賞するだけで完結してしまうのです。”

長田弘「問う力」

遅かれ早かれ、そろって斉射を行っていた長い横隊が崩れはじめる。混乱のさなか、火薬の煙と銃の轟きと負傷者の悲鳴に包まれるうちに、兵士は機械の歯車からひとりの人間に戻り、自分のやりたいことをやりはじめる。銃の装填をする者もいれば、武器を手渡す者、負傷者の介抱をする者がいる。わずかながら逃げだす者もいるし、煙に巻かれて迷う者、手ごろなくぼみを見つけて身を隠す者もいる。そしてほんのひと握りの兵士だけが発砲を続けるのだ。

第二次世界大戦中の資料にかぎらず、無数の歴史資料が伝えているのはこういうことだ。すなわち、先填め式マスケット時代、ほとんどの兵士は戦闘中にせっせと別の仕事をしていたのである。


デーブ・グロスマン「戦争における人殺しの心理学」
“降伏という選択肢のとられる頻度はびっくりするほど高い。たいていは勝者にへつらい、身体の弱い部分をわざとさらけ出すという形をとる。同種の生物に降伏した場合は、殺されたり、それ以上危害を加えられることはないと本能的に知っているのだ。この威嚇と擬似闘争と降伏というプロセスは、無用の死を防ぐという意味で種の存続にとって不可欠である。”

デーブ・グロスマン「戦争における人殺しの心理学」
“ヨーロッパにゆくと、どこの街でもいちばん豪奢なのは教会と劇場だそうである。 「そこが嘘が語られるところだから」だ、というのが養老先生のご意見である。 「この中で語られることは現実の話じゃありませんよ」ということを外見の過剰な装飾性によってあらかじめ「おことわり」しておくのである。 学校もそうだと思う。 制服が決めてあったり、時間割があったり、煩瑣な「どうでもいい規則」が定めてあるのは、そこが現実の合理的判断が適用できない場であるということをダメ押しするためである。”

“性や死や殺生といったごく自然な現象が隠されてしまうと、社会はその自然な現象を否定し歪曲するという反応を起こすようだ。現代では、科学技術の進歩によって現実の一側面が人の目に触れなくなっている。そのために、逃げようとしている対象そのものが奇怪な夢となってとり憑いて離れない、現代社会はそのような症状を呈しているのではないだろうか。否認は妄想の一種であり、妄想は夢を生む。妄想の魅力的な罠に人々が深くはまり込んでゆくと、社会にとって危険な悪夢が生まれる危険性も増大する。”

デーブ・グロスマン「戦争における人殺しの心理学」

その昔、アーネスト・ヘミングウェイという人が
「六つの単語で物語を作れるかどうか」
という賭けで見事に勝利しました。
ヘミングウェイはのちのち、この物語を自分の最高傑作だと言っていたそうです。


For sale: baby shoes, never worn
売ります:赤ちゃんの靴、未使用


“人々は理解したいんじゃないの。理解した気になりたいの。だからわかりやすくしてほしいの。ほしいものをくれる人のことを「あたまいい」とか言うの”

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…… 著名な思想家とは、ユニークな思想を唱えた者のことではない。同時代の人びとが共有できないほど「独自」な思想の持主は、後世において再発見されることはあっても、その時代に著名な思想家となることは困難である。その意味では著名な思想家とは、「独創的」な思想家であるよりも、同時代の人びとに共有されている心情を、もっとも巧みに表現した者である場合が多い。(小熊英二, 『〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性』, 新曜社, 2002,  p20-21)
(via pdl2h) (via jacony)
“「社長すいません。見たいアニメがあるので帰ります」って言ったら、おまえすげえな!おまえすげえな!って2回言われた上、タクシー代までくれた。”

“僕らは距離をゼロだと錯覚してしまう。装置がなくても錯覚します。こんなに親しいのだから隙間なくぴったりくっついているんだと思う。でもそれは嘘です。誰かと誰かがぴったりくっつくことなんてありえない。でも僕らはそういう錯覚を持ちたくてしょうがない。なにかというと勘違いしようとする。だからそれを強烈に助長する装置を携帯電話につなげたりしてはだめです。他人には距離がなくちゃいけない、声が遠くて、ノイズが入るような、適切な距離が。”